十二の鉱物的肖像

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写真の独特さは、ともかくも“その被写体が確かにそこに居た”という痕跡を残す事なのかと思います。絵画と異なり、光の直接的な照応関係のある銀写真、ダゲレオタイプなどのその『存在している』印象は突出した物です。

手元に今、様々な人々のアンブロタイプ、カロタイプ、カルト・ド・ヴィジットと呼ばれる肖像写真が12枚あります。シースは剥落し、像面が危うく、判然としない物も多くあります。しかし、ガラス面の上のかすかな眼差し、崩落の過程に見える輪郭などは、その存在の突出という面において逆に、全てが判然としている写真よりよほど強烈なものがあります。

少女の写真があります。家族の、襟を正した紳士の、真剣な眼差しがそこにあります。何一つとしてそのままではいられない、フラジャイルな日々の、人の、生きる中において、それでもその存在の永続を願った誰かの悲願がこの写真達の根底に流れる様に、私には思えます。

欠損し、剥離し、崩落し、しかしその中にひらめく一条の燐光に、鉱物化した記憶の再生を想うもの。
虚空を区切り、時を眠らせ留めるもの。



 



  
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by K_Mutori | 2012-03-01 01:53 | オブジェ志向

モノクロームメインでの写真Blogです。


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